Never Stop Swinging リンディーポップの天才 フランキー マニング

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フランキー マニング
フランキー マニング

リンディーポップの天才: フランキー マニング

2017年5月26日、 Google検索のアニメーションが変わっていたのを知っていますか?このアニメーションはリンディーポップの伝説的な人物、フランキー・マニングの生誕120年を記念にこの日だけ特別に変えられたものでした。伝説のダンサー フランキー マニング についてご紹介します。

リンディホップとは?

リンディホップ(Lindy pop)は1920年代アメリカ・ニューヨーク州マンハッタン北部に位置するハーレムで生まれたダンススタイル。

スウィングダンス(swing dance)の一種で、最もポピュラーなものです。

スウィングダンスはアメリカを中心に発展した男女二人組で踊る、カップルダンスのひとつです。1920年〜1940年代のスウィング・ジャズの時代に、その音楽にあわせて生まれました。リンディホップは基本的なステップが8カウントで、ジャズの形式にぴったりと合っています。スウィングダンスは、決まったパートナーとだけでなく、基本的には誰とでも踊れる、カジュアルなものです。基本ステップやルールはあるものの、ジャズと同じく即興性のあるその場で音楽にあわせてステップを組み立ててくのがスウィングダンスの醍醐味です。

Hellzapoppin' /ヘルザポッピン

1941年アメリカで大人気映画となったHellzapoppin’(ヘルザポッピン)では当時Savoy Ballroom(サヴォイ・ボールルーム) のパフォーミンググループWhiteys Lindy Hoppersがリンディーホップを披露し、今でも代表的なリンディーホップのダンスシーンと言われています。

注目すべきダンスシーンは0:31からですが、音楽にも注目してみてください。

リンディーホップのルーツ

リンディーホップはスウィングダンスの一種として誕生しました。そのスイングダンスはアフロアメリカンによるダンスがはじまりです。アフロアメリカンのダンスは、アフリカと奴隷が到着した西インド諸島にルーツがあります。アメリカにおけるダンスの歴史によると、リンディホップのステップには、シエラレオやトリニダードトバゴの伝統舞踊に類似性があるそうです。アフリカンダンスにはいくつかの特徴があります。

例えば:

裸足で大地を感じながら踊るので、足の裏を地面にくっつけて足を滑らす、引きずる、小刻みに踏む等の動きをする

自分の体を楽器のように動かす

腰を落とし、膝を曲げてかがむような姿勢をする

動物の生態を真似た動きをする

ダンスに即興性がある

体を中心から動かす

リンディホップにも、これらの特徴がみられます。スウィング、リンディホップもアフロアメリカンから生まれたダンス。共通性があるのもうなずけます。

Savoy Ballroom(サヴォイ・ボールルーム)

スウィングの歴史を語る上で決して忘れてはいけない場所があります。それはダンスの歴史だけではなく、アメリカの歴史と文化の一部としても大事な場所となったSavoy Ballroom(サヴォイ・ボールルーム)というダンスホールです。

1926年3月12日にニューヨーク・ハーレムにオープンし、収容人数4000人とも言われた巨大ダンスホール。20年代から40年代にかけ、アメリカには次々と似たようなダンスホールが建てられますが、その中でも一番知名度の高かったのがサヴォイ・ボールルームです。

たくさんのダンスホールがある中、なぜスウィングとアメリカの歴史に大事な場所になったかというと、サヴォイボールルームができる前、黒人が入られるダンスホールは限られていました。

1863年の奴隷解放宣言以後も、黒人に対するさまざまな差別が続いていました。黒人であれば、入場禁止を求める場所はダンスホールだけではなく、レストラン、美容院など酷い差別がありました。そんな中、オープンしたサヴォイボールルームは肌の色関係なく、音楽とダンスを楽しむ人なら誰でも歓迎してこのダンスホールでスウィング・ダンスが開花します。

サヴォイ・ボールルームでドラマーとして活躍したチック・ウェッブのドキュメンタリー映画「The Savoy King: Chick Webb & the Music That Changed America(ザ・サヴォイ・キング:チック・ウェッブ&ザ・ミュージック・ザット・チェンジド・アメリカ)」ではサヴォイ・ボールルームで音楽とダンスがどれだけの影響力とパワーがあったのかフランキー マニングも取り上げられている。

サヴォイ・ボールルームから生まれたStompin’ At The Savoy(ストンピン・アット・ザ・サヴォイ)はこのダンスホールを代表する大ヒット曲となりました。

リンディホップの時代

リンディホップは1920年から1940年ごろまで盛んに踊られていました。しかしながら、リンディホップはスウィングブームと共に衰退します。1950年代にはかろうじて、まだ踊られていましたがその後、姿を消します。この背景には、アメリカのフェミニズムの台頭が影響したともいわれています。スウィングダンスが、ダンスの主役は男性、女性は補助的な役割とみえるからというのがその理由でした。

その後1980年代ごろからリンディホップのリバイバルブームがはじまります。きっかけとなったのは、スウェーデンのダンスチームが、リンディーホップの殿堂だったSavoy ball room のダンサー AL MINNSを再発見し、その後リンディホップのサマーキャンプを毎年開催することになったことでした。そしてリンディホップの母国アメリカでも、花形ダンサーだった フランキー マニング が再評価されるようになり、1990年代にはアメリカをはじめヨーロッパでもリバイバルブームが起こりました。

フランキー マニングがなぜこんなに有名になったか

フランキー マニング

偉大なダンサーであり、リンディホップの創始者の一人であるフランキー・マニングは1914年フロリダ州ジャクソンビルで生まれ、幼いときに母とNYのハーレムに移り住みました。

残念ながら2009年に94歳で亡くなりましたが、生涯ダンサー、振付師として、多くの舞台に立ち、後年も多くのダンサーを育ててきました。フランキーはリンディホップの創始者の一人で、彼の功績の大きなひとつにリンディーホップの特徴の「エアステップ」を作ったことです。

エアステップとはダンス中にパートナーの女性を空中に放り投げるアクロバティクな動きです。エアステップが生まれた背景は、フランクが先輩ダンサーとダンスコンテストで対決となったときに、切札として生み出したものでした。フランキーは見事コンテストで優勝し、これ以来エアステップはリンディホップの重要な要となり、フランキーはその天才的なパフォーマンスとともに、映画や舞台の世界にも進出しました。

スウィングし続けるリンディーホッパー

フランキー マニングの名言 “Lindy hoppers will never die – they just swing out.”(日本語訳:リンディーホッパーは無くならない。これからもスウィングし続ける)通り、21世紀に入って、リバイバルブームは終焉しましたが、いまでもアメリカやヨーロッパ、シンガポールなどでも、定期的にイベントやワークショップが開催されています。最近では、韓国など以前はあまりスゥイグの文化がなかった場所ででも親しまれるようになってきています。日本でも仙台や東京、大阪などで定期的にイベントやワークショップが開催されています。

1998年3月にはフランキー マニングが日本への初招聘後に東京スイング・ダンス・ソサエティー(TDS)が設立され、多くのスウィングダンサーやインストラクターを育てるとともに、種々のダンスイベントを提供してきているようです。

Superfly 「愛をからだに吹き込んで」

偉大な歌唱力で人気のSuperflyがリリースした「愛をからだに吹き込んで」のMVではリンディーホップの要素を取り入れた力強いパフォーマンスを見ることができます。

ぜひチェックしてみてくださいね。

まとめ

フランキー・マニングは90歳を過ぎても、リンディホップのインストラクター、振付師として世界中を飛び回っていたそうです。冗談が好きで、いつも笑顔で笑っていて、周囲の人たちに惜しみなく愛を与えていた暖かい人柄の人でもあったようです。「ダンスを愛するように、仲間を大切にする」ということを、1920年代の人種差別の厳しかったころから実践してきたフランキー。フランキーたちが生み出したリンディホップが今の時代もこれからも、世界のあちこちで踊られ続けるといいですね。

フランキー マニング

世界中を熱狂させたフランキー マニングの生涯

ダンサーからの視点でリンディーホップを楽しく語る

リンディーホップに愛された伝説のダンサー FRANKIE MANNING

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